右に海、左に一面の“麦畑”を見ながら
【8月20日】
今日も素晴らしい走りだ。風も応援してくれる。追い風を受け、65kmを3時間30分で走ることが
できた。ここまで来ると、すっかり人の臭いがする。右手に海、左手に麦畑を見ながら走る。砂漠を走って
きたせいか、まるで別世界、別の国を走っているような錯覚を覚える。店も最低でも50kmに一軒はある。
車が多い。特にトラックが、だから後方から大きな音がしたら油断してはいけない。また、相変わらず蝿は
多い。目に寄って来るから大変困る。食べ物もだいぶん安くなった。いままで地方では、2.5ドルした
ハンバーグが、1.5ドルになっている。
ここ、クライスリル・ブロックに着いたのが16時。ここでも、また一つの出会いがあった。
キャラバンパークでテントを立てていると、一人の男の子が興味深そうに寄って来たので、「自転車は好きか?」
と尋ねると、「Yes」と言った。日本コイン10円玉を友達に分けてやるように渡すと、後から、「サインを
してほしい」と、ノートを持って来たので、JACCの便箋に名前とアドレスを書いてやった。すると、
今度はまた、お礼にと、その子の母からブーメランと「ありがとう」のメッセージをいただいた・・・・
ここまでされては、ほっておけない。食事が終わってから、日本茶と笛を持ってお礼に、その子の家を
訪問した。父は電電公社に勤めているとのこと。また、母親は太っていて、人のよさそうな感じだった。
ビールと魚のフライを御馳走になってしまった。日本茶も笛も、「とても良い」と喜んでもらえた。
「アデレードに着いたら、新聞社に行くつもりだ」と言ったら、「スポンサーがいるのか?」と言うので、
「いない」と言った。JACCの会長(当時)の池本氏の英文で書かれた“紹介状”を見せると、私のことを
そうとう偉い人物のように思ったようだった。
ところで、これで終わりではない。その後、ポート・ピィリーの街をドライブに誘ってくれた。海を近くで
見るのは久しぶりである。夜の港は特にそうだ。とても懐かしく思えた。ここは、羊毛やガソリンを日本へ
輸出している所だ。時々、日本船が来ると教えてくれた。夜の港は、やはりムードがあっていい。明かりが
きれいだった。明日の朝に写真を撮ることを約束して別れた。育ちざかりの子が三人もいるのは、さぞかし
大変だろうと思った。