富士山からの朝日(須走り登山道:6合目付近より)
今回は、初回ですので、“自転車との出会い”そして、“世界一周を心に決めた理由”について話をさせて
いただきます。
<自転車との出会い>
私が初めて自転車に乗ったのは、中学3年の時です。隣の親戚の子に時々借りて、家の近くを走っていま
したが、自分でどこにでも行ける楽しさに無我夢中でした。その後、母に「通信簿で“5”を採るから
買って!」とお願いし、無事に自分の自転車を手にした私が始めて遠出したのは、高1の時です。
当時、思春期だったのかも知れませんが、学校も家も面白くなく半分“家出”みたいな気持ちで、たった
5000円を持って「九州一周」の旅へ出発しました。今考えると何て無茶をしたのだろうと思います。
・・・そんな中、私を迎えてくれたのは、見知らぬ人たちの優しさと温かい心でした。神社の境内で寝よう
としていると「神社は蚊が多かけん家に泊まらんね」と言ってくれたり、朝には「これは昼飯の時にお食べ」
と、にぎり飯を持たせてくれた所もありました・・・。そんな感じで気がつくと、何と8泊中7泊は見知らぬ
人の家に泊めてもらっていました。この時私は、つくづく「何てこの世には、こんなに親切な人がいるのだ
ろう!」と思い、私もその分人に対して親切にしなくてはならないと思いました。
これ以来、私はすっかりサイクリングの“とりこ”になってしまいました。
<世界一周を心に決めた理由>
会社員となり、休みを利用し『日本全国一周』を目指して走り始め半分ほど終えた時のことです。
「この一番好きな愛車(自転車)と共に、あの日本一高い富士山の頂上に立ってみたい!」と思った私は、
21歳の時に富士山に登りに行きました。もちろん愛車と共に・・・・
そして、御殿場駅から須走り登山道に入り、走ったり押したりしながら登り始め、6合目付近にさし
かかった時のことです。突然強風が吹いてきて、上にも下にも身動きが取れなくなってしまいました。
風は一向におさまる気配もなく、仕方なく私は近くの半分の屋根しかない壊れかけた無人の山小屋で一晩
明かすことにしました。
当時、Tシャツと長袖のジャージしか持っていなかった私は、“0℃”にもなる寒さに一睡もできず、
「早く朝になってくれ!」と、心に祈るのみでした・・・
・・・しばらくして、星の明かりが消え、周りが明るくなり、小屋の外に出てみると、“上の写真”の
朝日があったのです。朝日からの光に心の真から温かくなり、「何て美しいんだろう!」と思いました。
そして、「世界には、もっともっと美しい景色があるにちがいない。そして様々な人とも出会ってみたい!
人生は一度しかない・・・世界へ行こう!」と、この時私は、全国一周を終えたら世界へ行くことを心に
決めました。
須走り登山道(7合目:山小屋「太陽館」前にて)
★さて次回からは、いよいよ、「オーストラリア(大陸縦断)編」ついて話をします。
・・・日本人スチュワーデス・・タマネギごはん・・コルゲーション道路・・バッファロー・・
病気・・満天の星・・砂漠・・360度地平線・・エアーズロック・・アルバイト生活・・・・
・・そして様々な出会い・・・・色々な思い出が蘇えってきます。ぜひお楽しみに。
世界を回って、一番心に焼き付いている思い出は、南米のコロンビアでのことです。
・・・子供も三人も居て、ベットは石、電気もないといった生活もままならぬ有様の民家の庭に
テントを立てさせてもらった翌朝、テントを畳んでいざ出発しようとしていると、お母さんが
駆け寄って来て、一杯のコーヒーとビスケットを差し出してくださいました。
この時は、思いもよらぬお母さんの行為に涙ぐんでしまいました。そして、どんなに貧しくなったと
しても、こうした“思いやりの心”だけは持ち続けたいと思いました。・・・そうした人たちのことを
思うと、「自分は決して怠けてはいけない。精一杯生きて行かなくてはいけない」と思うのです。
帰国してから、このお母さんのことを思い出して“あなたの優しさ”という歌(ギター弾き語り)
を作りましたので、良かったらお聞き下さい。
<思い出の一部>