【7月18日】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


周りはバナナ畑ばかり

 

   日本では、今はもう暑いことだろう。今日も身体の調子が悪いので無理をせず、エル・セントリまで

  とした。とても町の中にはテントを立てる気にならない。途中、テントを立てられそうな所があったので

  尋ねてみると、「別の所に行け」と言われた。でも、そのお蔭で、もっと安全で水も美味い所にありつけた。

   久し振りに自炊して、メシ“タマネギごはん”を食うことが出来た。この辺の人は本当に貧しい人が

  多い。この民家は、これが貧しい人達の家かと思うほどに、電気はなく、ベットは石、子供も三人いて、

  明日の生活もままならない有様だ・・・・しかし、その顔は気にしていない、ほがらかな様子が見える。

 

   翌朝、テントを畳んで、いざ出発しようかとしていると、お母さんが駆寄って来て、コーヒーと

  ビスケットを差し出してくれた・・・・この時は、思いもよらぬお母さんの行為に、思わず涙ぐんで

  しまった・・・・“たとえ、どんなに貧しくなったとしても、こうした思いやりの心だけは大切にしたい”

  (*帰国してから、この“お母さん”のことを思い浮かべて、“あなたの優しさ”という歌を作りました)

 

   カリの町に着き、銀行でトラベラーズチェックを現金に替えてもらおうとしたが、どこも替えてくれなく

  指定の銀行に辿り着くまで一時間も費やしてしまった。USドル現金なら、どこでも直ぐに替えてくれる

  のに。持っておくべきだった。

 

   さて、寝る場所を探す訳だが、午後4時頃、遊園地で食事を取った後、そこの人に尋ねてみる。

  「ダメだ。ホテルで金を払え」と言われてしまった。『金を払うくらいなら、どこでも寝れる』

  その後、1kmほど先の民家に尋ねる。青年がいて、「しばらく待て」と言う。しかし、20分ほど

  待たせておいて、ダメだと言われた。ただテントを立てるだけなのに・・・・。

   だが、その後、ここの牧場の人に尋ねると、すぐ「ok」してくれ、夕食もご馳走になった。

  本当に人によって、これだけ違うものである・・・・つくづく、出会う人の運によって、“旅”がずいぶん

  違ったものになると思った。ここでも“鶴”を折ってあげて、折り方を教えてあげた。 知らぬ間に

  日本コインが無くなってしまった。結構人気がある。特に“五円玉”が・・・・。

 

 

 

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