【8月03日】
朝7時に起きると、家の者は誰もいなかった。作物を売りに朝早くから市場に行ったのだ。
走っている途中、日本語で、「ウォークはいかがですか?」と地元の人が尋ねて来た。もし、今
ヨーロッパに居る私なら飛びついたことだろうが、今の私はペルーの付近でないと落ち着かない。
それに、ここで働いても給料は安いに決まっている。今はとにかく先を急ぐことだ。ペルーに行ったら
のんびり出来る。
相変わらず、トラックが多い。道幅が所々狭くなっているから注意しなくてはいけない。もう二度と
あんな事はごめんだ。
アンバドの町に着き、テントを立てようと、コンクリート会社の庭にお願いすると、「車が入るから
ダメ」と言われ、500mほど先に、広い庭を持っていた人がいたのでお願いすると、英語で「ok」
と言われた。ここの人は昔、イングランドに住んでいたとのこと。
また、ここでいい思い出を作れた。
午後8時頃、さて寝ようかとしていると、テントの周りで数人の人のざわめく声が聞こえて来た。
「また珍しがり屋が集まって来たのだろう」と思い相手にしないでいると、誰かがテントを叩いた。
『何だ?』とテントを出てみると、美人の女性と彼女の弟が立っていた。「コーヒーでも飲まないか?」
と言うので、「ok」と言い、さっそく彼女の家にお邪魔した。
ミルクをよばれた。お礼に鶴を折り、日本の歌を歌ってあげた。また、彼女のフィアンセが「金が必要
だろう」と言い、100ソーレスをくれた。彼女はエクアドルの笛もくれた・・・・・まさか、あんな
所でコーヒーの誘いがあるとは思ってもみなかった。だって、人の家の庭だったからだ。
さて、ここの家のアドンさんのことだが、昔、日本人の“順子”という女性と結婚する予定だったが、
彼女の親が許さなかったとのこと。しかし、「今でも彼女を愛してる・・・結婚したい」と話してくれた。
そして、彼女もまだ“一人”だと信じている。今、彼女は33歳、彼は32歳。彼女のことをひたすら
思い続けている彼が美しくも見えた。
彼女は看護婦で、彼はキトの大使館に病院のアドレスなどを尋ねてみると言っており、私にも是非、
帰国したら調べてほしいと彼の住所を教えてくれた。出来ることなら、是非このことを彼女に伝えて
あげたい。
彼は、ペンキの剥げた機械を塗り変えることで生計を立てていた。電気もなく部屋も汚かったが、
将来はこの60uの土地に会社を作るつもりだと、明るさがあり輝いていた。約60万円でこの土地を
買い、一日300円ほどで子供を雇っていた。私も帰国したら、彼のように一からのスタートだ。
たくましさを見習わなくてはいけない。
翌朝、朝食やみかんを持たせてくれ、「また来るように」言ってくれた。もう一日居て町を見学する
ようにも言ってくれたが、先を急ぐことにした。