【3月25日】
お世話になったモデルハウス経営の家族と
この日は素晴らしい出会いを得た。
雨も降り出して来たし、こう四日間もテント暮らしばかりでシャワーも浴びていないので、今夜は
ホテルに泊まろうと思っていた。そして、相変わらず登りが続く坂を漕いでいると、右手にモデル住宅
のような小さな建物が見えて来た。中を覗くと誰もいない。ここなら、ゆっくりとくつろげそうである。
雨風の心配はない。何はともあれ、一応の許可は貰わなければならない。そう思い、経営者に尋ねてみる
ことにした。頼るのは、スペイン語で書かれた“紹介状”と、写真付の新聞だけである。
差し出してお願いすると、家の中に入って奥さんと一緒に出て来た。そして、「ok」とのこと。
一つの小さな小屋を提供して下さった。そこにはベットもおいてあった。そこで礼は早い方がいいと思い、
鶴を折ってあげた。すると、「18時30分に家に来い」ということである。荷物の整理をして、家に
行くと、夕食の支度がしてあった。自家製のポタージュを戴いた。何とミルクを掛けて食べるのだ。
他に人参とグリンピースを煮たものがあったが、どれも薄口で、後で塩やコショウを掛けるようにして
あった。それと、パンとデザートは、酸っぱいヨーグルトであった。口にはどれも合ったので良かった。
お互いに言葉が通じないというのは困ったものだ。六カ国会話ブックでは一方通行のみで、相手の
言っていることが分からない。それでも互いに理解しようということで、少しは通じたようだった。
後から、近所の女学生が来て、彼女は英語を話すので助かった。
私は笛を吹いた。あまり話しははずまなかったが、久し振りのふれあいは実に良かった。思えば
半年ぶりのことである。ぐっすり眠れた。
また、話の中で分かったことだが、フランスは就職難らしい。特に田舎の方は全く仕事がないと言って
いた。どうりで、店があるのに閉まっている所が多かった。また、季節にしても3月から4月までは
雨も多く寒いとのこと。また、午後8時を過ぎると、バーのみでレストランは閉まってしまう。
どこのバーの女性も、男より女強しというのがよく見える。バーの中で、大の男が女性に説教されている
のが目立った。
また、子供たちとも話したが、折り紙を折ってあげても、「どこから来たの?」とか、「日本に帰って
どんな仕事をしますか?」などの質問ばかりで、何となく、マセていて子供らしさが感じられなかった。
南米の子供達の方が実に新鮮だった。