<質問12>シドニーやニューヨークで、アパートはどのようにして探したのですか?
私は、大陸縦断後は、どこかでゆっくりとくつろげる場所が欲しかったので、日本を出る前に、
一ヶ月間の英語留学(民家にホームステイしながら、英語学校に通う)を契約していました。
*今も、17万円程度で英語留学(朝夕2食付き)ができるようです。
よって、縦断後は、ホームステイしながら、英語学校へ通い、余った時間を利用して、
まず、アルバイト先を探しました。 アパートは、アルバイト先が見つかり、そこで同じように、
“ワーキングホリデービザ”でアルバイトをしている人の紹介で、比較的スムースに探すことが
できました。
なお、当時は、YMCAに“ワーキングホリデー事務所”があり、そこの掲示板に、様々な
“ルームメートの募集”が貼り出されていたのですが、それを利用してアパートを探してる人も数多く
いました。もちろん、外国人と暮らすことも可能です。そうした募集も数多くありました。
詳しくは、リンク集の“日本ワーキングホリデー協会”へ、問い合わせてみてはいかがかと思います。
さて、私の場合は、下の写真にあるように、ルームメートは全て日本人でした。
日本では、こんな生活(同じ屋根の下[3LDK]に、若者の男女、数人で)は、考えらないと
思います(親としてはさぞ心配なことでしょう)が、当時はこれが普通(今もそうだと思いますが)
でした。それだけに、まさしくTVドラマの“ひとつ屋根の下で”のような、ルームメート同士の恋愛
から様々な出来事や出会い、そして別れなどがあり、大変思い出深い体験をすることができました。
今思えば、その後の人生において、とてもプラスになっているように思います。これもまた、海外で
ないと体験できないことの一つではないかと思います。
詳しい思い出の内容については、「アルバイト生活編」で、お話したいと思います。
シドニーのアパートで26歳の誕生日を迎える
さて、ニューヨークの場合ですが、当時ここには、JACCの“ニューヨーク支部”らしきものがあり、
「世界一周中」の先輩が住んでいたので、ここに居候させてもらいました。
このアパートは、マンハッタンのほぼ中央に位置し、六畳くらいのスペースに、下の写真の人数が
ひしめきあっていましたが、この殆どが、同じ目標の“世界一周”を目指していたこともあり、
お互い、いつも励ましあって、アルバイトに精を出していました。これもまた、本当に貴重な体験
をしたように思います。 思い出すと、あの頃がとても懐かしいです・・・・そう言えば、
ここには、ゴキブリが多かったのですが、寝てる時に、誰かの口の中にゴキブリが侵入してしまい、
一晩中、みんなで大騒ぎしたことがありました。
六畳ほどの部屋を共にしたJACCの仲間